奥羽りんく結婚披露イベント特設ページ

                   -花嫁の場合-

 悪童屋が思いをめぐらせていた頃、当のりんく達は王城の一室にいた。
 白を貴重とした、簡素ながら造りと品質の確かさを感じさせる内装。
 ベッドとテーブルぐらいしかない手狭な部屋だったが、城内における配置や警備機構の厳重さから見ればこの部屋は悪童同盟で最も安全な場所のひとつだ。
 手狭なのには理由がある。
 そもそもこの部屋、一人用だった。
 婚前だからケジメをつけようと部屋は二つ用意されていたが、婚前のカップルが昼間まで離れ離れでいられる道理がない。
 それに狭い国では行ける場所にも限りがある。
 結果、生活の大半をテーブルを前にベッドで二人並んで日中を過ごすという、当人達以外からすれば拷問にも見える日常が繰り広げられていた。
 奥羽りんく――灰色の髪が印象的な娘が、器用にリンゴの皮を向いている。
 隣に座った三十絡みの無精ヒゲ――奥羽恭兵は、本気で手持ち無沙汰な顔をして天井を見上げていた。
 恭兵の職業は傭兵だ。だから平和な場所は性に合わない。
 大なり小なり危険があれば気を張ってもいられたが、悪童屋の用意した客室の警備はアリの這い入る隙もないほど徹底されていた。
 流石に結婚式を控えた身で戦場に赴くわけにもいかず、もしも行ったらりんくが怒って泣くと思い知らされて以来、休業中だった。
 そんな恭兵に、砂糖をまぶしたような弾む声がかけられる。
「恭兵さん、リンゴの皮むけましたよ」
 りんくはフォークに刺したリンゴを手に、恭平の顔を見上げてくる。
「あぁ、ありがとう」
 反射的にフォークを探し、最近使わせてもらっていないことを今日も再確認。
 幸せの代償はあまりに大きく、恭兵は今日もどういう表情をしていいのか迷いながら合図を待つ。
「はい、あーん」
「あーん」
 口中に広がる甘酸っぱい味。かじりとり、ゆっくり咀嚼して味わう。
 親バカの藩王がツテを使って森国人と取り引きしてきたリンゴは、文句なしに美味だ。
 愛情が最大の調味料という実感もある。空腹で飲んだ水とはまた違った味わいは、いまだ新鮮さを失ってはいない。
 だが何とはなしに退屈だった。こういう状況を全力で楽しめないのは難儀なものだ。
「恭兵さん、どうかしたんですか?」
「お前と同じ気持ちでこういう生活を楽しむには、どうしたらいいか考えてたのさ」
「やっぱり……戦場に、行きたいですか?」
 恭兵が言うと同時、りんくの表情がかげる。
 感情がすぐに表情に出るりんくの子供っぽさは、恭兵の苦手とする部分だった。
 嫌なのではない。素直すぎて眩しく感じるだけだ。
「そうじゃない。その辺の割り切りはできてるつもりだ。けど、不慣れなんだな。俺がこの国で一番落ち着いたのは、お前の父親と酒を飲んだ時だ」
「お父様と、二人きりでですか? わたしだったらガチガチになっちゃいそうですけど」
 りんくが苦笑し、二口目のリンゴを差し出してくる。
 きっとそれは偽りのない本音だろうと、リンゴを味わいながら思う。
 悪童屋四季――あの男はどれだけ優しい顔をしていても、絶対に隙を見せはしない。
 愛情や友情に嘘があるわけではない。ただ、恭兵と同じように死と敗北の可能性を考えることを止められないだけだ。
 そして常に、そこに抗うことだけを考えている。
「夜中に時間が空いたと呼び出されてな。ボトルを挟んで、今までの話をして、これからの話をして、それだけだったが――あの人は、戦場の匂いがするからな。それが気楽だった」
 りんくがどういう経緯であの男と親子の契りを交わしたのかは知らないが、アレを父親に選んだりんくを褒めてやりたい気分だった。
 普通、怖いものからは逃げる。それを遠ざけないのは勇気だ。
 それがあっても何の役にも立たないが、それがなくては何もできない。戦力に直接換算できないものを大事にできる人間は、それだけで胸を張っていい。
 俺の勇気は残弾次第だと、肌身離さず持っている愛銃のことを思う。
 りんくは銃を持たない女だ。それでも恐怖と戦える。勇気ある女を妻に娶る、これほど誇らしい話はそうない。
 誰にも言いはしないが、りんくは恭兵の自慢の妻だった。
 そう言ってやれば彼女が喜ぶことも分かっている。だが、恭兵は口下手だった。大事なことを伝えきれず、何度も彼女を泣かせている。
「私からは、しない匂いですよね、それは」
 冗談めかして自分の腕に鼻を近づけるりんくの雰囲気はどこか暗い。
――あぁ、またか。
 今日も失敗した。
 子供は苦手だと嘯くこともできない。過敏なりんくに信用がないなと言うのもお門違いだ。
 こんな時、かつての彼女は全力でぶつかってきた。
 自分の全力では彼女を壊してしまうが、思いを口にする勇気ぐらいは支払ってもいいだろうと思う。まったくもって傭兵らしくない。
 だが、何より彼女の涙が苦手なのは変えがたい事実だった。
「りんく」
「……はい」
 りんくが肩をびくりと震わせる。
 何も言わず、その肩を抱き寄せてベッドに倒れこんだ。
「きゃっ?! きょ、恭兵さん、くすぐった――」
 首筋に顔を押しつけ、りんくを抱きしめる。
 彼女からリンゴの匂いがする気がした。
「お前は器用な奴だな」
「な、ななな、何が、ですか?」
 りんくの鼓動が激しい。服ごしに伝わるリズムと体温に、恭兵は安心をおぼえる。
「相手を押し倒して喋りまくるようなことは、やっぱりマネできん」
「あ、そ、それは勢いとか、色々あって! あの日は、特別だったんですっ!」
「俺は不器用でな。どうしたらお前が安心するかも未だによく分からん」
 抱きしめるだけで安心を得られる自分と、そばにいるだけでは不安なりんく。これではアンフェアというものだ。
 アンフェア、いいじゃないか。優位条件を生かして勝ってこそ傭兵というものだ――という理性的な思考を、今ばかりは封印する。
 勝敗、生き死に以外の大事なモノを持ってしまった。その自覚がある時点で傭兵もへったくれもない。
 恭兵は勇気を大盤ぶるまいし、誰も見ていないことだけを担保にしてりんくに思いを告げる。
「どうすればいい? 戦場に行かないだけじゃあ、これからもお前は不安になるだろう」
 返事はない。
 永遠にも近い数秒が流れる。
 彼女の鼓動の速度が乗り移ってくるようだった。耳の奥で脈動が聞こえる。
 胸に触れる柔らかい体が、どんどん熱くなってゆく。
 ふっとりんくの気配が緩んだ。
 恭兵の髪に彼女の手が触れてくる。
 落ち着いた空気とは裏腹に、なぜか彼女の鼓動は速くなり続けていた。
「その……リンゴの味とか教えてくれると、いいとおもいます」
「それは、つまり?」
「はい。……そういう、ことです」
 あまりの直球に面食らいながら、恭兵は顔を首筋から離す。
 見下ろしたりんくは、恭平の瞳をじっと見返してきていた。
 リンゴの味――二人の気持ちが通じた日、恭兵はりんくの剥いたリンゴを食べていた。
 その後、紆余曲折あってキスをした。
 そして恭兵は今の今までリンゴを食べていた。
 それだけの話だ。
 思わず笑みがこぼれた。
「お前はまだまだ子供だな。もっと多くを望んでもいいんだぞ。とっくに胆は括ってる」
「子供でいいですよ。夢見がちで歯止めの利かないままじゃないと、恭兵さんを捉まえてておけないんですから。それに――」
「それに?」
「知らないんですか? 女の子は、甘いものとか果物が大好きなんです。私は特に、リンゴが」
 そう言うりんくの顔は耳まで真っ赤だった。声も裏返っている。
 自分で言って、自分で照れてどうする。
 いつもなら言ってしまう無粋なツッコミを飲み込み、恭兵は目を閉じたりんくにゆっくり顔を近づける。
 互いの吐息の混じる距離。りんくの唇が期待に震えた。
 だが――
 唐突に内線のコールが鳴り響いた。
 りんくが目を開く。恭兵は苦虫を噛み潰して受話器を睨んだ。
 無粋な奴もいるもんだと、日頃の行いを棚にあげて身をおこす。
「はいもしもし」
 受話器を手に取り、不機嫌な声をあげる。
 腕の中のりんくは嬉しそうに笑っていた。

(文:松)

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Last-modified: 2008-05-28 (水) 23:16:39 (4457d)